深々と底冷えする寒さだった。
この数日間テレビでは気象予報士が大雪や寒波について散々喚いていたが、珍しくその予想は当たっていたらしい。
深夜から降り始めた雪は今ではすっぽりと地面を覆っていた。
フル活動しているヒーターのお陰で室内は暖かさを保っているが一歩外に出れば凍えるような寒さであることは、足元から這い上がってくる冷気が何よりも物語っている。
雪の朝は無音だ。ふとこの世界に自分しか居ないような気分にさせられる。
そんな中、キキィとドアが軋む音がした。室内の暖かい空気が廊下へと流れ出て行くのを感じるが、それ以外はなんの気配もない。
「起きていたのか。早いな」
少し驚いたような色を乗せた低音の声がルパンの背中にぶつかった。
「うーん。起きてたというより、寝てないというか・・・まだ4時前だよ、五右エ門ちゃん」
ルパンは咥えていた煙草を指に移し、ふーと煙を吐き出しながら少し笑って答える。
五右エ門にとっての朝はルパンにとっての深夜なのだ。
「さっさと寝ろ」
(待っててやったのに、な〜にその言い草)
と、ルパンは答えたが声には出さなかった。唇はそう動いたが背後の五右エ門には見えていないだろう。
だけど伝わったような気がした。
「行くのか?」
「・・・ああ」
ギシとソファーを軋ませながらルパンは立ち上がると腰を少し屈め、テーブルの上の灰皿に煙草を押し付ける。
「・・・加勢してやろうか?」
「不要だ」
跳ね返るように速攻で返ってくる予想通りの言葉にルパンは苦笑を浮かべた。
フイッと修行の旅に出るのはいつもの事だが、仕事中にそんな事をしたことは今まで一度もない。
だが今回に限っては「途中ですまぬが降りる。緊急の用が出来た」の一言で翌朝立つと言い出したのだ。
律儀と真面目を形にしたような侍だ。ルパンでなくとも何かが起こったことはわかるし、五右エ門もそれがわかっていても、仕事を途中で抜けるからには無言で立ち去る訳にはいかなかったのだろう。
それでも、理由も説明もしなかったが。
「最寄の駅まで送ってやろうか?」
「いらぬ」
ルパンはくるりと五右エ門の方を振り返る。五右エ門の視線は部屋の中にはなく、既に廊下の向こうにある。
「色々な道具があるぜ。貸してやろうか?」
「斬鉄剣で十分」
ゆっくりと近づいてくる気配を察したのか五右エ門が顔を向けた。
視線を逸らすことなくルパンの目を真正面から見据えて、フンと鼻で笑った。
「いらぬ世話を焼くな。おぬしらしくない」
「じゃ、餞別くらい受け取っていけよ」
ニヤリとルパンは底意地の悪い笑みを浮かべ右手を伸ばし、五右エ門の後ろ首を掴んだ。
五右エ門が何かを考えるよりも早くその手をグイッと引く。当たり前だが五右エ門の顔も一緒についてくる。
逃がさぬように自分からも顔を寄せ、近距離まで近づいた目を覗き込みながら唇を合わせた。
驚きに少し開いた薄い唇の中に遠慮なく舌を捻りこむ。
抵抗を許さぬ力で白い貌を固定して、口内の熱さ柔らかさを存分に堪能する。
逃げる舌を追いかけ絡め唾液を啜ると、静けさの中に荒い息と湿った水音が響き渡った。
ドンと胸元を突き飛ばされルパンの体が後ろへ揺らぐ。
拘束する力が緩んだのを逃す五右エ門ではなく、あっという間に後ろに飛びのいた。
「なっ!?なにをする!!」
唇を手の甲で擦りながら怒鳴る五右エ門の声は廊下に響き渡った。
その声に反応した訳ではないだろうが、外からザザザと雪が滑り落ちる音が聞こえた。
「だから、餞・別」
ニヤニヤと笑いながらルパンは五右エ門を散々蹂躙した舌を、見せ付けるようにチロチロと動かしてみせた。
貌を朱に染めた五右エ門の手がチャキリと刀に掛かったのを、両手を差し出し止めながらルパンは言った。
「もう行くんだろ?さっさと行けよ。俺様を切りたきゃ・・・帰ってからにしな」
五右エ門の目が微かに見開かれた。
数秒の沈黙の後、五右エ門は斬鉄剣から手を放し背筋をピンと伸ばすと、くるりと背を向けた。
「言われずとも。首を洗って待っておれ」
そう吐き捨て五そのまま玄関に向かう。だが声色は口調とも内容とも異なり静かなものだった。
「いってらっしゃーい」
ひらひら手を振るルパンを一瞥することなく、五右エ門はそのまま白銀の世界へ消えていった。
「さーて、俺も寝るとすっかな」
ルパンの部屋はすっかりと冷え切っているだろうが五右エ門の部屋は、少なくとも布団は温まっているに違いない。
そう判断するとルパンはブルブルと震えて見せながら、温かい布団の待つ部屋へ向かった。
雪を踏む音が遠ざかっていく。
外では雪が深々と降り続き、すべての生き物が息を潜めている。
寒ければ寒いほど小さな温もりも大きな暖かさになる。
暦のうえでは既に春だという。こんなに寒いのに不思議なこった、とルパンは窓の外を眺める。
だが、この寒気も数日で緩まるらしい。
寒さはいつまでも続かない。次には必ず春という季節が控えているのだ。
五右エ門が帰ってくる頃は雪で難儀することはないだろうさ、とルパンは小さく呟いて笑った。
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