ソレはほの暗い水底で恋人を待っていた。
もう来ぬ恋人を待ちわびるあまり判別というものはほとんど残っていなかった。
元々判別だのを持ち合わせる生物ではなかったが、ソレを生み出したのは海洋生物を人生至上の存在と信じて疑わぬひとりの生物学者だったので、幸か不幸かある程度の知性を与えられてしまっていたのだ。
硝子越しに会う学者はいつもソレを褒め称え愛を囁いた。
美しいと、理想だと、離れたくないと、狂った愛情をソレに与え続けた。
学者の一挙一動に反応するソレを学者は益々愛した。
研究に没頭するあまり人間との接触が皆無だった学者にとって、愛を与えれば返してくれるソレの存在は唯一無二のものになったのだ。
子供程度ではあるが知能を与えたソレは学者のいうことをよく聞いた。
通常の何倍もの大きさに育ったソレは本体を水槽の中に沈めたまま、触手を水から出すことを覚えた。
学者はゆっくりと丁寧にそして情熱を込めて、触手を己に絡ませ愛撫させることを教え込んだ。
服を脱ぎ淫らにおぞましく絡み合う。
ソレは学者の発する声や蠢き痙攣する体を好ましく思った。
特に上と下にある口から浅く差し込んだ触手を蠢かすと学者は最高に悦び、突起から液体を吐き出す。
ソレの動きに反応する姿がなんとも面白ろ可笑しく、吐き出された液体は美味であった。
しかし、人ならぬ背徳的な日々はそう長くは続かなかった。
遺伝子操作のために想像以上にソレは成長してしまい、水槽に収まりきれなくなったのだ。
ソレの存在を知った別の研究者達はソレの処分を検討した。
だが、学者はソレを深夜にこっそりと運び出し、海に放した。
見知らぬ場所で最初は怯えたものの、従来あるべき場所。ソレは次第にその環境に慣れていった。
たまに訪れる学者と険しい海岸で交わること幾度目か。
ソレは恋人が昔のように一緒にいればよいと思った。
去ろうとした学者を己の棲みかである水底に引きずり込むと、交わるときのように学者はもがき、そして動かなくなった。
数ヶ月して学者の体が完全に骨になってしまうと、ソレはその骨が学者であるということを忘れた。
そして、学者がやってくるのを、それに続く甘美な交わりを待ち望むようになったのだ。
何度か学者と同じ形をしたものを見つけ、水中に引きずり込んだ。
だがいつも人間はすぐに動かなくなってしまう。
服を剥いでも触手で愛撫を施しても反応せずに、ただソレの動きに合わせて揺れるだけだ。
岩場に生えている海草となんら変わりない様子に、ソレは絶望して捕まえた人間を捨てることを繰り返した。
だが、今日。
求めていた、待ち続けていた人間にようやく出会うことができた。
その人間は水の中でも動き続け、ソレに長い棒を使い攻撃をしかけてきた。
捕らえようとしたが、水をかきわけどんどん離れて行こうとする。
人間は水面に向かって上昇していく。
水から出したら駄目だということをソレはすでに知っていた。
8本の触手を動かしあとを追う。
地上の生物が水中でソレに敵うはずもない。
ソレは最初に自分を攻撃した長い棒を取り上げて、足や腕に絡めて動きを封じ、残りの触手で人間の肌を撫でた。
昔、学者にしたのと同じように。
衣服の下に侵入し、その布を体から剥ぎ取る。
上部にある小さなふたつの突起を捏ね回し、その周辺を撫で摩る。
下部にある少し長めの突起に巻きつき強弱をつけて揉んでやると、人間は全身を震わせ仰け反った。
そうだ、この反応だ。
久しぶりの感触にソレは悦び歓喜した。
覚えている動きを捕まえた人間に施すと、慣れ親しんだ反応が返ってくる。
上の口は何かを咥えていて入ることはできないが、下の口は何にも塞がれていない。
ココに浅く侵入し掻き混ぜてやると恋人はとても喜んだ。
一緒に突起も擦ってやると美味な液体を何度も何度も吐き出していた。
あの液体を久々に味わえる。
その期待に、ソレは下の口へ侵入を開始した。
人間がもがき元気よく動いている。これなら存分に何度でも味わえる。
ソレは悦びに打ち震えながら、絡めとった人間に恋人に教え込まされた愛撫を施し続けた。
水の中に広がる白い液体を味わいながら、ソレがふと気がつくと、もがいていた人間はもうほとんど動いていなかった。
せっかくの楽しい交わりも、人間が反応しないのなら面白くない。
そのときソレはあることに気がついた。
もしかして人間は水の中では動けなくなるのかもしれないと。
今まで捕まえた人間も水の中ではすぐに動かなくなった。
恋人もいつも水の外にいてソレと愛を交歓していたのだということを思いだしたのだ。
久々に捕まえた人間は今までは動いていたが、また動かなくなりそうだ。
せっかく楽しんではいたが、これを地上に放さなければ、このあとに続く楽しみを失ってしまう。
そう判断すると、ソレは人間を触手で絡ませたまま、水面に向かって上昇しはじめた。
突然の高波にボートが大きく揺れた。
下から突き上げられて、ふたりの体はボートのうえで一瞬、宙に浮いた。
「な、なんだ!?」
「うわっ」
背中を強かに打ちつけ、痛みに顔を歪めながらも起き上がる。
水中に潜った五右エ門はまだ戻ってこない。酸素ボンベももうすぐ尽きる時間だ。
さすがにマズイことでも起きたのかと、次元が潜る準備をしていたときだった。
ボートは転覆ギリギリで大きく左右に揺れている。
いったいなんだと海面を覗き込もうとしたとき。
サバーーー!!
と水中からなにかが突きあがった。
何本も何本も太い木の幹のようなものがそそり立つ。
それが一瞬なんだか理解できなかったが、ぽつぽつと浮き上がるジンマシンと強烈なかゆみにルパンは叫んだ。
「た、たこーーーーーー!?!?」
「なに言って」
そんなはずはないと切って捨てようとした次元が、ソレが捧げ持つ存在に気がついた。
確かに蛸の足にみえるそれは信じられないくらい太く長い。
だいたい本体は水中に沈んでみえないというのに、その足は優に1mは超えたところまで伸びているのだ。
だが、そんなことよりもその蛸足に絡まれぐったりとしているのは、なんと今から探しに行こうとしていた五右エ門だったのだ。
「五右エ門!?」
次元は銃を抜いた。次元の声に五右エ門の存在を認識したルパンもそれに続く。
衣服はほとんど残らずほぼ全裸の五右エ門と、その体にいやらしく絡む蛸の足。
胸や股間にも蛸足の先端が巻きついているのがみえる。
「てめぇ、五右エ門になにしやがった!」
銃を構えるふたりの前に五右エ門の体がずいっと差し出された。
「な?」
「五右エ門!」
戸惑うことなく、五右エ門の体をソレから奪いとる。
ズリュリと何かが引き抜けるような水音がして、その方向に目を向けると五右エ門の足の間から1本の蛸足が離れていくところだった。
五右エ門が水中でこの生物になにをされたのか。想像するのは容易かった。
ルパンが五右エ門をボートの底に横たえている間に次元は怒りの弾丸を蛸足に向けて撃ちはなった。
だが、ダメージを受けた様子もなく蛸足は水中に沈んでいく。
「てめぇ、待ちやがれ!」
詰めたかえた弾丸を水中に向けて撃つ次元にルパンの声がかかる。
「次元、いいから、行くぞ!」
「そういうわけにいくかっ」
「あんな奴に攻撃されたらココじゃ勝ち目はねぇ。それよか五右エ門をどうにかしねぇと!」
怒鳴るルパンの声に次元はハッと我に返り、ぐったりとしている五右エ門に視線を向ける。
「くそうっ」
忌々しげにボートの縁に拳を叩き付け、次元は操縦桿を握った。
水中でソレはボートが走り去るのをみつめていた。
愛しい恋人を乗せたボートは陸に向けてまっすぐに進んでいく。
ソレは8本の腕をひろげゆっくりとボートを追いはじめる。
今度は水中ではなく、以前のように地上で愛の交歓をするのだ。
またあの体を味わえる悦びに奮えながら、ソレは楽しげに泳いでいった。
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