「とんでもないことになった」
困っているような、楽しんでいるような、苦虫を噛み潰したような、情けなさに泣きそうな、なんとも不思議な表情を浮かべて、ルパンは言った。
「とんでもないこと?」
ヒソヒソと耳元で囁くように話しかけてくるルパンの体勢の方が『とんでもないこと』なのではないかと思いながら、反射で離れようと体を反らそうとした次元は、すぐにぐいと引き戻されてしまった。
とんでもない体勢は続行中だ。
ソファーに寝転んだ次元の腰を両足で挟み込み、腹の上に座り込んでいるルパンは、圧し掛かるように上半身を傾け、耳元に唇を寄せている。
相手が美女、とまでいかなくとも女でさえあれば、色っぽいといっていい体勢である。
こんな体勢で耳元で囁かれたら間違いなく誘われていると思っていいはずだ。
だが、相手は男、ルパンである。
はっきり言って生理的な嫌悪感が湧き上がってくる。
「どけ」
ぐいっと胸元を押し返しても、ルパンはビクリとも動かない。
それどころか益々体を倒し、密着してきた。
長く付き合ってきた仲間だ。密着することも抱きつくことも慣れたものだが、意味のわからない妙な体勢、接触はいくら相棒とはいえ気持ちが悪い。
ゾワリと背筋を悪寒が走り、鳥肌がたつのを自覚するが、ルパンは離れない。
怒鳴りつけてやろうと口を開いたが、そこで次元はようやくルパンの視線が自分ではなく、他に逸れていることに気がついた。
視線を追うと、その先にいるのは、もうひとりの仲間、石川五右エ門である。
目を大きく見開いてこちらを見ている。
次元と視線が合った途端、五右エ門は頬を軽く朱に染めた。
「コホン」
目を逸らし、咳払いをすると五右エ門は何事もないかのように立ち上がる。
「・・・少々、出かけてくる」
そそくさとリビングのドアに向かった五右エ門の背中を次元は呆然と見つめた。
これが男女、例えばルパンと不二子であったのなら、今の五右エ門の態度は正しい。
気を利かせた、とか、居たたまれないとか、ふたりきりにしてやろうとか、そんな気持ちからの行動だ。
だが、今ここで妙な格好で絡んでいるのは男同士、ルパンと次元なのだ。
つまり、五右エ門の態度行動は間違っているということになる。
「あー、やっぱり」
五右エ門の姿が消えたあと、ようやくルパンは体を起こし、そう呟いた。
跨れたままなのが気に喰わず、次元は乱暴にルパンを突き放して体を起こした。
ごろんと背中から床に転がったルパンは文句を言うかと思ったが、床の上で胡坐を組み、トホホと頭を垂れた。
「なにがやっぱりなんだ。ていうか、今のはなんだ、気持ち悪りいことすんな!」
「五右エ門ちゃんさ」
怒鳴る次元を気にすることなく、チラリと視線をあげたルパンはさっきと同じ表情を浮かべた。
『とんでもないことになった』と言ったときとまったく同じ。
「俺たちが付き合ってると思ってるみたいなんだよねー」
「・・・は?」
「相棒とか仲間とかじゃなくって、愛人?恋人?まあそんな感じ」
一瞬頭が真っ白になった。
愛人?恋人?誰と誰がだ?
脳内に浮かんだ疑問は、ちゃんと言葉になっていたらしい。
「俺と、お前が」
「俺とお前?」
「そ。ルパン三世と次元大介、がだよ」
「な、な、なっ、なにぃぃーーーーー!?!?」
アジトに次元の絶叫が響き渡る。
そんな馬鹿な、なんでそんなことになるんだ、よりによって俺とルパンが、そそそそんな仲だと!?
「五右エ門の言動の端々でそう思ってるんじゃないかなーと思ったから、カマをかけてみたんだけど・・・マジみたい」
視線を逸らし、顔を赤らめ、気を利かせて席をはずす。
どう考えてもそういうことだろう。
「な、なんでそうなったんだ!?!」
「知らねえよ、俺の方が聞きたいくらいだぜ」
大きく溜息をつくルパンは困ったようなのに、なんとなく楽しげにも見える。
なぜだ。なんで楽しげなんだ、こいつ。
その疑問がパニックになっていた次元の脳みそを少し冷静にさせた。
そして気がつく。
いくら確かめるためとはいえ、そんな誤解を抱いている人間の前であんな体勢を取ったのなら。
絶対五右エ門の中での誤解は誤解ではなく、揺るがない事実になってしまっているだろう。
「なんてぇことしてくれたんだ!!」
よりにもよって五右エ門にそんな誤解をされるなんて、冗談じゃない。ふざけんな。
怒った次元は立ち上がり、床に座るルパンを延々と責め立てた。
声が枯れそうなほどがなり立てて、次元の怒鳴り声が絶え絶えになってきた、数十分後。
黙って怒鳴られていたルパンはニヒリと笑って、次元を見上げてきた。
「なに笑ってやがる」
「誤解だよーって説明すればいいだけじゃん」
「・・・思い込んだあいつがそんな簡単に納得するかよ」
誤魔化されていると思われて終わりだ。
そして今回のように生暖かく見守られ続けてしまうのだ、そんなこと冗談じゃない。
「そんなに嫌なのかよ」
「当たり前だろう、気持ち悪りぃ!!」
気持ち悪いなんてひどーい、とルパンはヨヨヨと泣いた振りをしたあと、またニヒリと笑った。
「じゃあさ、次元」
その笑いが気に喰わず、次元はギロリと睨みつけたが、勿論ルパンには効果ない。
「さっきの俺が、五右エ門だったら?」
「はぁ?」
床と仲良くしていたルパンが、よっこらせと立ち上がる。
「さっきお前を押し倒したのが俺じゃなく五右エ門だったら」
そう言いながら、一指し指で次元の胸をトンとついた後、ルパンは意味ありげな笑みを浮かべた。
「それでも気持ち悪りいって思うか?」
もしさっき次元の腰を跨いで座っていたのが。
もしさっき上半身を傾け覆いかぶさってきたのが。
もしさっき耳元で囁くように話しかけてきたのが。
それがすべて五右エ門だったら?
問いの意味がわからないまま、無意識にその状況を想像して。
「顔が真っ赤よ、次元ちゃん?」
ガハハと笑ったルパンは、そのまま次元を捨て置きリビングを出ていった。
「道は険しいねぇ、ま、頑張れよ」
そんな言葉を残して。
なんで五右エ門に誤解されたことが堪らなく嫌だったのか。
ルパンの言われるままにちょっと想像しただけで、なぜ体が火照り動悸が酷くなったのか。
「ちょ、ちょって待ってくれよ・・・」
俺はホモじゃない。
ホモじゃないが、ホモじゃないはずなのに、これはどういうことなんだ。
知らない自分に出会った衝撃、誤魔化しようのない感覚。
頭を真っ白にした次元は、よろよろとソファーに倒れ込み、大きく頭を抱え込んだ。
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