■第2話■


 

出発して一月近くが経過していた。
ローマから出たことのなかったフロドは地図でしか知らないのだが、トランシルバニアへの道のりはなかなか長いらしい。
トロトロ進んでいる訳では決してない。ふたりを乗せた馬は早足である。
森を抜け、山を抜け、たまに人里に出ることもあるが、ほとんど野宿であった。
そしてその間、ずっとレゴラスとふたりきり。
河や湖を見つければお互い体を洗い流し、夜は警戒と暖をとるため身を寄せ合って眠る。
修道僧として生きてきたフロドにとって他人とこんなに接触したのは初めてだった。
それにレゴラスは親愛の情を隠さずに表してくる。
何気ない態度で髪を撫でたり抱きしめたり。
嬉しいときやお礼を言うときは必ず頬や額に口付ける。
はじめはとても驚き、戸惑い照れたりしていたが、今ではすっかりと慣れてしまった。
恥ずかしいことには変りないが抵抗感がまったくなくなってしまったのだ。
人の体温が安心感を与えてくれるのをフロドは初めて知った。
レゴラス以外の人は経験ないのでどうかわからないが、少なくともレゴラス相手なら圧倒的に羞恥よりも安堵感を感じる。

元々フロドはレゴラスが大好きだった。
たまにしか会えなかったが、レゴラスが来ると嬉しかったし楽しかった。
金色の髪とグリーンの瞳は太陽と新緑のようだったし、なんと言ってもとても綺麗な顔をしている。
フロドは今までレゴラス以上に美しい人には会ったことがなかった。
不敬な気がして決して口にしたことはなかったが、教会に飾られている聖母や聖人もレゴラスには敵わないと思っていた。
そんなレゴラスがフロドに優しくしてくれる。
モンスター狩りで疲れていたり辛い思いをしているだろうに、そんな気配はまったくみせず、いつも優しく微笑みながら外で起こった楽しい話を聞かせてくれるのだ。
綺麗な人に優しくされたら誰だってその人を大好きになってしまうはずだ。
レゴラスがなぜ自分に優しくしてくれるか、本当に好意があるのかは、よくわからなかったが、一緒に旅を続けているうちにレゴラスもフロドを好いていてくれていることを実感出来た。

すごく嬉しい。

今から恐ろしいモンスター狩りが始まり命の保障はない
それを思うとフロドの心に不安が湧き上がってくる。
だが、もし死んでしまったとしても。
レゴラスと一緒に旅している今があるのなら、教会の中で老人になるまで生き続けるより、ずっと良いとフロドは思った。

「トランシルバニアは遠いですね・・・村の人たちは大丈夫でしょうか」

フロドが不安げに呟いた。

「大丈夫だよ。彼らは200年近く戦い続けてきたんだ。昨日今日で何かがかわるとは思えない」
「そう・・・ですね」

馬を操るレゴラスを見上げてフロドは弱弱しく笑った。
トランシルバニアに到着するということは、吸血鬼の恐怖に自分達も晒されるということだ。
それでも、フロドは我が身よりもその地に住む人々の心配をしている。
ふたりきりの旅を長引かせるために、遠回り遠回りして時間をかせいできたレゴラスだったが、フロドの表情をみて仕方ないと旅を終らせることを決意した。

「それに・・・明日には到着するよ」
「明日・・・?」
「そう、戦いが始まる。相手は吸血鬼だ。そう簡単にはいかないだろう」
「大丈夫です。覚悟は出来ています」

体を硬くしたが、フロドはきっぱりと言った。
そんなフロドが心底愛しく思う。

「心配しなくても大丈夫だよ、君は私が守るから」

その言葉にフロドは驚いた顔をして、次に泣きそうに顔を歪めた。
だが、そんな表情はすぐに消えて代わりに怒りの表情が現れた。
その変化にレゴラスは驚き軽く目を見張った。
フロドは体を回転させるとレゴラスの向かい合わせに座り、彼をキッと睨みつける。

「僕のことは守ってくれなくって結構です。僕は足でまといになんかなりたくない」
「フロド・・・」
「僕に戦闘能力はほとんどない。貴方に武器を提供し、自分に何が出来るか探しだしてそれを実行することだけだ」

フロドの声は硬く尖っていたが、深い蒼色の瞳は潤みはじめていた。

「貴方に死んで欲しくないんです。それも僕のせいでなんて・・・絶対に嫌だ!
 だから僕なんか守らないでください、貴方のすべきことだけに集中してください。
 誰かを守りながら戦えるほど、吸血鬼は甘くないはずです」

レゴラスに死んで欲しくないと、だから自分を守らなくていい、というフロドをレゴラスは思いっきり抱きしめた。
不覚にも泣きそうになったのだ。
腕の中の存在が愛しくて愛しくて、その愛しさが切なさを運んでくる。

「でも、フロド。それでも僕は君の危機のとき見捨てることはできないよ?」

レゴラスの言葉を聞いて、反論しようと腕の中でもがくフロドの耳元に小さく囁く。

「君は私の命が危ないとき見捨てることが出来るの?出来ないでしょう?」

ビクリと震えてフロドの抵抗がやむ。

「自分に出来ないことを言ってはいけない。私達は一緒に戦うんだ。足でまといとかじゃない。
 お互い助けあって戦わなくてはいけない。君が危ないとき私は君を助ける。だから、フロド、君は・・・」

レゴラスは腕の力を抜き、フロドの顔を真正面から見据えた。

「私が危ないときは助けてくれ」

フロドの瞳が大きく見開かれ。
そして耐え切れないというように大粒の涙が溢れ出した。

「はい・・・レゴラス・・・はい・・・」

フロドはレゴラスに抱きつき、その広い胸に顔を埋めた。
そんなフロドをレゴラスは抱きしめ、宥めるように背や髪を優しく撫でる。
初めての教会以外の世界。それだけでも心細いだろうに、命を賭す戦いが控えているのだ。
不安にならない方がおかしいというもの。
自分の欲のために、教会から出たことのないフロドをモンスター狩りに連れ出したことに罪悪感を感じたレゴラスだった。


フロドを抱きしめていたレゴラスだったが。
暫くするとニヤリと笑った。

フロドの言葉や態度を反芻しているうちある結論に達したのだ。
その結論に達した瞬間に湧き上がっていた罪悪感は簡単に霧散した。(<コラッ)

(フロドがここまで私を想ってくれてるなんて・・・元々優しい子だけど、これって普通の感情と違うよねぇ。
 ふたりっきりで長く旅して来た甲斐があるなぁ。
 フロドの信頼を得て、変な警戒心を起させないために、どんなに紳士として振舞ってきたことか。
 耐えがたき劣情を抑え、闇夜に紛れて自分自身を慰めたことも・・・くっ!
 その苦労の甲斐があって、とうとう此処まで辿り着いた!
 フロド自身気がついてないみたいだけど・・・確実に恋愛感情に近づいて来てるし。
 とにかくもう一押しだ!あと少しでフロドは身も心も完全に私のもの・・・vvv)

胸に顔を埋めたフロドがレゴラスの表情をみることが出来なかったのは
レゴラスにとって幸運であり、フロドにとっては不運でもあった。
妖しい妄想に取り付かれそうになったレゴラスだったが、所謂フロドのいう「レゴラスの隠し武器」が
むくむくと頭を持ち上げてくるのを感じ、慌てて理性で欲望を押し留める。

レゴラスの体が少し揺らいだことで、フロドはようやく我に返った。
安心できるレゴラスの腕の中に収まって抱きしめられている。
そんな今の自分の状態を自覚して頬を赤らめた。
そっと体を離し窺うように見上げると、レゴラスがニッコリと微笑んだ。

ドキンと胸が高鳴る。

その意味がフロドにはわからなかったが、レゴラスの笑みが原因であることは理解できた。
レゴラスが大好きだ。絶対彼に死んで欲しくない。
だから。
自分に何が出来るかわからないけど、精一杯レゴラスを助けて、そして守ろうと思う。

「泣いて・・・ごめんなさい」

恥ずかしげに俯くと、レゴラスの指がフロドの顎にかかり、ふいとその顔を持ち上げた。
目の前にはいつもよりも、今までにないほど近くにレゴラスの顔があった。
フロドの唇に掠るようにレゴラスの唇が合わされる。
それは一瞬で。レゴラスの顔はすぐに遠のいてしまった。
フロドは何が起こったかすぐには理解出来なかったが、理解出来た途端真っ赤になった。

「レ、レゴラス!?」

口を両手で覆い仰け反るフロドが倒れないように、その背を支えた。

「君の言葉が凄く嬉しかったからね。感謝の印♪」

レゴラスはニコニコと嬉しそうに笑って言った。
今まで頬や額キスされたことはあったけど、唇にはなかった。
唇へのキスは特別な意味を持つとフロドは思っていたから、凄く驚いてしまったのだが。
レゴラスの表情をみて、唇にキスしたくなるほど彼が喜んでいるのだと気がついた。

(唇へのキスは家族や・・・恋人同士のものだと思うんだけど・・・まあ、いいか)

自分は捨て子で家族はいないし、修道僧だから伴侶は持たない。
ということは唇へのキスは一生有り得ないということだ。
例え相手が男とはいえ、こんなに綺麗で、そして大好きなレゴラスにキスしてもらえたのだから文句を言うことではない。
と、フロドはちょっと困ったように笑った。
いつの間にか涙も止まり、心に巣食う不安も和らいでいる。

「じゃあ、行こうか、フロド」
「はい!」

明日にはトランシルバニアに着く。命を懸けた戦いが始まる。
それでも、ふたりなら、戦い抜き勝利を掴めるような気持ちになった。




 

   
  
 
   

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