Another story [2]



 
私の家は日本の一般的な家庭だった。
父と母と私と弟、そして祖母の5人家族。
ほんの少し友達の家と違う所があるとすれば、祖母がイギリス人だということくらいだ。
祖母は友達の『おばあちゃん』とは全然違った。碧い目、白い肌の綺麗な人で、髪は暗い茶色で白髪交じりだけどきちりと結い上げて体型もスラリとしていた。
私達は祖母を『グランマ』と呼んでいて、祖父が建てた洋風の離れに住んでいた祖母のところに遊びに行くのが大好きだった。
だってそこはちょっと日本離れしていて、日常会話は英語、調度品も食事も洋風で、違う世界に迷い込んだような気持ちになるのだ。
もちろん祖母は日本語も話せる。自宅や外出時は流暢な日本語を使っていたけど、祖母宅では英語オンリーだった。
今にして思えば祖母は、私や弟が国外に出たときに困らないように英語や欧米の基本的なマナーを教えてくれていたのだろう。イギリスから日本へ嫁いで来た祖母にとって世界は広く、日本の狭い領土だけが世界ではなかったのだ。
母は祖母に似て美人でハキハキして明るい性格だった。社会に出ればキャリアウーマンになるタイプかもしれないが、少し体が弱かったので働くことはできず専業主婦をしていた。家事は完璧で、母が作る食事は和食中心で絶品だった。元々母の料理は洋食中心だったらしい。教える祖母がイギリス人だから当然といえば当然か。
母は父とつきあうようになって、和食大好き純日本人!の父のために料理教室に通ったのだ。
「お母さんのごはんが美味しいのはお父さんへの愛の成せる技よ!」と胸を張る母は子供の目からみても可愛かった。
その父はというと日本のお父さんらしくちょっとシャイで、母のように好きだの愛だのを言葉にはしなかったが、私達が愛され大事にされていることは充分に伝わってきていた。養子の父は温和で優しかったが、だからこそたまに怒るととても怖かった。
みっつ下の弟は母に似て明るく人見知りしない子だった。元気すぎて手がかかることはあったけど「おねえちゃん、おねえちゃん」と慕ってくれるので、なんだかんだいって甘やかしてしまう。だが、みっつ違いでまだ私の方が体格が良く力も強かったから、いざとなれば鉄拳制裁を食らわせていたので、飴と鞭の使い分けは出来ていたと思う。
そんな私達家族にイギリスから招待状が届いたのは、私が中学1年の夏休み前のことだった。
家督を継いでいる祖母の弟からで、丁寧な英文の手紙と共に航空券も同封されていた。
祖母は少し眉を潜めた。久々に里帰りが出来るチャンスなのに乗り気でないようだった。
祖母は父や母となにかを話し合っていた。何度も何度も。
大人達が躊躇う理由がわからない私と弟は、断ってしまうのではないかとハラハラしていた。
せっかくイギリスに行けるチャンスを逃したくない。夏休みなら学校を休まずにすむし、外国に行くなんて初めてだし、とにかく行きたくって堪らなかった。
だから招待を受けることになったとき、ふたりで万歳をしてしまったくらいだ。
嬉しくって、楽しみで仕方なかった。
期待とほんのちょっぴりの不安を胸に抱えて、家族全員でイギリスへ渡ったのは、夏休みがはじまって数日後だった。
初めての海外、初めてのイギリス。だが、到着直後のことはあまり覚えていない。
出発までずっと浮かれていたことと、出発したら出発したで、何時間もの長い機内滞在ですっかり疲れ果ててしまったのだ。
空港まで迎えに来てくれた車は黒塗りのとても立派なものだったが、それを満喫する間もなく車中ではすっかり眠り込んでしまった。
祖母に起こされて眠い目を擦りながら車から降りた私は目の前に広がる景色に絶句した。
口がポカンとあいてたような気がする。少なくとも隣にいた弟は目も口も真ん円だったから、私もきっと同じだっただろう。
祖母はなんと貴族の出だった。祖母の弟、つまり大叔父は伯爵なのだという。すごく驚いた。
石造りの立派なお城、自宅近くの公園よりもずっと広い庭。黒い服を着た執事さん、可愛い制服を着たメイドさん。
どれもこれも驚きの連続だったけど、一晩眠ったらショックも抜けて、翌日には弟と屋敷や庭の探検を始めてしまって、母に「落ち着きなさい」と怒られた。
伯爵である大叔父はイギリス風の服を私達姉弟に用意してくれていて、まるでお姫様になったような気がした。
大叔父は優しく穏やかですぐに大好きになった。奥さんは数年前に亡くなって子供もいないから、大きなお屋敷にひとりで暮らしているので、皆が来てくれて賑やかになって楽しいと云ってくれた。
私と弟は毎日遊んだ。大人達は一室に集まって、なにやら話し合いをしていたみたいだけど、子供には関係なかった。
もし日本の自宅でなら大人達の様子が気になっていただろうけど、とにかくすべてが新鮮でそこまで気が回ってなかったのだ。
今になってみれば、あのときの話し合いは弟のことだったのだと思う。祖母が帰郷に乗り気じゃなかったのもそれが原因だろう。
跡継ぎのいない伯爵家。直系が祖母と大叔父だけとなれば、血筋を考えるなら弟を跡継ぎにという流れになってもおかしくはない。
勿論、祖母も父も母もはっきりと断る気で招きに応じたのだと思う。
クォーターで血も薄く日本で生まれ育った弟よりも親戚筋から養子を取るのが最良だろう。
だが不運は重なるもので、分家筋でも子供がいなかったり、いても事故で亡くなってしまっていたりと目ぼしい人物が見つからなかったらしい。
まあ、これは亡くなった大叔母の姪であるという人物から後日聞いたことなのだけど。
表面上は穏やかに、でも水面下では跡継ぎ問題でお互い一歩も譲らず停滞する話し合い、そんな大人達の緊張が漂う中、それに気がつかず私と弟は毎日を楽しんでいた。
そんな日々が突然途切れたのは、イギリスに来て2週間後のことだった。
その日も大人達は大叔父の部屋に集まっていた。
庭の片隅でキラキラ光る石を見つけた弟が、お母さん達に見せてくると叫んで走っていったのを、私は苦笑して見送った。
それが弟の姿を見た最後だった。


大叔父の部屋。つまり伯爵様のお部屋はとても立派なものだった。テレビ特集でしか見たこともないような、豪華な内装と上品な調度品。
細かい細工に飾られた木目調の扉を開くと広い書斎。図書館のように壁一面に並べられた書籍と、窓際にどっしりした机と大きな椅子。
部屋の真ん中には応接セット。ふわふわなクッションが置かれた座り心地の良い大きいソファーは私の大のお気に入りだった。
書斎には入口以外にいくつも扉があり、寝室や衣装室などに続いているらしい。
大叔父様のプライベートルームだということで中に入ることを父に禁じられた。大叔父様は笑って構わないと云ってくれたけど、「おまえ達だって自分の部屋に入られるのは嫌だろう?」と父に云われて、私も弟も納得せざる得なかった。
せめてもと、こっそり覗いてみたら天蓋付のベッドが置いてあってとてもワクワクした。
その大叔父の書斎に集まって大人達はよく話し合いをしていた。笑っていることもあったけど大体は真剣な顔をしていたので、そんなとき私は近づかないようにしていた。
だけどあの日は、石を持って走っていった弟がなかなか戻って来ず心配になったのだ。
邪魔した弟が怒られるだけならいい。でもこういうときは年長者が損をするもので、「弟の面倒をちゃんと見ていなさい」などと理不尽な理由で叱られたりする。
仕方がないなぁと溜息をつきながらテラスから屋敷に戻り、書斎へ向かう途中に怖ろしい叫び声が廊下内に響き渡った。
まるでホラー映画の登場人物の叫び声のようなそれは、まさしく断末魔。
途切れることなく続くそれは男女の声が入り混り、廊下の奥、まさしく大叔父の部屋の方角から聞こえるのだ。
恐怖で足が竦んだ。
何が起こっているのか。その叫び声から想像は容易いが、想像したくなかった。
まさかまさか。
その場から動けなくなった。膝が震え一歩も足を踏み出せない。震えは時間と共に全身にまわる。
ガクガクとしながら、私はパニックになった。
何が起こっているのか。この先で。父と母と祖母と大叔父、そして弟。
劈くような悲鳴。恐怖に満ちた叫び。そして、苦しげな呻き。
交わり響くそれらが聞こえなくなったことに気がついたのは、どれほど経ったときだったのか、私にはわからない。
「旦那様!」
大きな声と共に黒い塊が私の横を通り過ぎたときに我に返った。
前を走っていく執事さんの姿。背後からは恐怖に満ちた声で囁き合うメイドさん達の声と気配。
止まっていた私の時間が、周りの動きに刺激されてふたたび動き出した。
おとうさん、おかあさん!
助けなければ。苦しんでるなら救急車を呼んで早く病院に連れていかなくっちゃ!
焦る心が恐怖を吹き飛ばした。最悪の事態など頭から消え去り、ただ助けなくてはというそれだけが頭を占めた。
「お嬢様!」
引きとめようとする声が聞こえたが、私は執事さんのあとを追って大叔父の部屋へ走った。
走って、走って、走った。
大叔父は「この部屋は特別仕様なのだよ」とこっそり教えてくれた。
悪者から襲われてもこの部屋に逃げ込めば安全なんだよ。助けが来るまで篭城出来る。扉も壁も爆弾を使ったとしても壊れることないんだ、と。
貴族でお金もちだと悪い人に狙われちゃうから大変なのね、と私はそのときは暢気に答えた。
だから大丈夫なはず。襲われて悲鳴をあげちゃったけど部屋に逃げ込んでいれば悪者も手を出せない。
扉を開けたら「ホラ、大丈夫だったろう。この部屋は丈夫なんだ」と皆で笑ってくれるはず。
そんな子供の馬鹿らしい希望的観測は放たれた扉の前に立ったときに、見事に打ち砕かれた。

目の前は真っ赤だった。

床に広がる夥しい赤。壁にべっとり飛び散った赤。
それを舐め尽くすように覆い包む炎の赤。
部屋の至るところに転がる、人間だったもの。
肘からしかない手。靴を履いたままの足首。小石のように点在する指。ごろりと転がる頭部。
元いた人間の数がわからなくなるほど散った、体の部位。
あの白い手首にあるのはおかあさんの時計。あの足首が履いているのはおとうさんの靴。あの指に嵌っているのはおばあちゃんの指輪。あのペタリと撫で付けているのは大叔父さんの髪。

みんながこっちをみている。
くびだけになっても、からだにかろうじてついていても、みんなおなじかおをしている。

大きく見開かれた目、叫んだままの口、血まみれの恐怖に歪んだ表情。
死んだ人間の顔。

部屋の中を見たのはたぶん一瞬だった。
「いけません!」という声と共に抱きしめられたから。
燕尾服で目の前が塞がれ、執事さんの背後であの綺麗な装飾がされた扉が閉まった。
だけど私はすべてを見てしまった。
部屋の中の血塗れの惨劇を隅から隅までなにもかも。
遠くで悲鳴が聞こえた。
絹を裂くような甲高い、恐怖と絶望に満ちたそれは私の声によく似ていた。

そして、そのあとのことは何も覚えていない。


悪者から身を守るための部屋。爆弾にも壊れないというその部屋は、反対の役割も果たした。
外に逃がれることが出来ず、部屋に閉じ込められたまま燃え続けた炎は、高熱を発しすべてを消し炭に変えた。
おとうさんもおかあさんもおばあちゃんもおおおじさんもおとうとも。

大人の骨は辛うじて残っている部分もあったけど、子供だった弟の骨は一欠けらも残らなかった。
130年の時を越えて再び襲ったファントムハイヴ家の惨劇によって。
私は最後の子供になった。
 



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別の物語

  








■なかがき

すみません。今回はオリキャラオンリーな話になっちゃいました(^^;)
たぶん次で終わります。
たぶん本物のシエルも登場すると思います。





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