さて、どこからお話致しましょうか。
今まで誰にも語ったことのないひとつのちいさな物語。
私の正体を初めて問うた貴方にお話致しましょう。

 
 

ある精霊の物語



 
私がいつから存在していたのか、もう覚えておりません。
最初はちいさなちいさな物思わぬ意識でした。
私の傍では土から木の芽が息吹き、若葉を茂らせ、年輪を重ねていきました。
降り注ぐ日差し、地面を叩く雨水、重ね積もる白い雪。
季節が移り変わる中でも何も変らず、永い間ただそこに在りました。

あるときふと気がつくと、私は喧騒の中におりました。
あまりの騒々しさに、たぶんこのとき初めて何かを思考したのだと思います。
土と木と草と花と無垢な動物達。いつの間にかそれらの代わりに、石や木や色々なものが組み合わさった大きな物が現れました。
そしてその中には、たまにしか見かけることがなかった人間という騒々しい生き物が沢山棲んでおりました。
私はそれらのものになにやら興味をそそられました。
今までなかった外部からの刺激に、私は今まで在った場所を離れ、その喧騒の中に引き寄せられていきました。
人間。言葉を話しちょこまかと忙しく動く生き物。
屋敷。石や木や色々な物で作られた人間が住まう場所。
衣服。人間の体を包み込み隠すもの。
馬車。馬が引く人間を乗せるもの。
庭園。人間の手によって作られた擬似的な自然。
その場所で弛んでいるうちに少しずつそれらの物を理解し、私は知識を増やしていきました。
自然の中に在るときとは違いすべて人間中心に出来上がっているひとつの世界はなかなか興味深いものでした。
しかし、その時点でも私という自我があったとは思えません。
太陽を太陽と、雨を雨と、風を風と認識するのと同じようにそれらの物を認識していたに過ぎないのです。
私は元の場所に戻ることはせず、屋敷の中に留まりました。
ですが、私は意識あるものであっても存在するものではなかったので、人間が私を『見る』ことはありませんでした。
どれだけの時間、その場に在ったのかは覚えておりません。
そんなに永い時間ではなかったと記憶しておりますが、その頃の私と今の私では時間の流れ方が異なるので詳しいことはわかりません。
そんなある日、ある男が屋敷にやって参りました。

私はその男によってはじめて『存在するもの』になったのでございます

*

私はいつものように屋敷の中で弛んでおりました。
屋敷では人間の出入りが激しく、新しい人間がやってくることは珍しいことではありませんでした。
その男もそんな人間の中のひとりでした。
現れたその男は屋敷に棲む人間とは少しだけ外見が異なり聞いたことのない言葉を話しておりましたが、私には他の人間との違いはあまりわかりませんでした。
なぜなら人間は人間だからです。
この屋敷の歴代の当主はなかなか物騒な生き物なのか、外敵の来襲を受けることが度々ありました。
その都度攻防が繰り広げられ、人の血が流れ誰かが死んでいきました。
男は屋敷を守る者として雇われたのだと知ったのは、ある日敵意を持つ人間が屋敷に忍び込んだときでした。
あっという間でした。見たことがない武器と体術ですべての敵をひとりで退治したのです。
儚く脆い人間の中でもかなり強い部類に入る男でした。
敵の来襲時には悪魔のように殺戮を繰り返す男は、常は大人しく他の人間とは変らない平凡な男に見えました

その男があるとき私を『見た』のです。
誰の目に留まることのなかった私という存在に気がついたのです。

男は私を知覚したあと、驚いたように私が弛んでいる空間を見つめました。
その目にどのような姿で私が映っていたのか、私にはわかりません。
しかし男は間違いなく私を見、そして話しかけて来たのです。
「お前は何だ、幽霊か?」と。
幽霊というのは人間が死んだあとに残る意識だと私は認識しておりましたので『違う』と答えました。
心に湧き上がるものを外に発したのは始めての経験でした。
人間に伝わるかはわかりませんでしたが、なんとなくニュアンスは伝わったようでした。
「では、なんだ?」
なんだと問われても困ります。私はたった今までは認識されない、つまり存在しないものだったのですから。
この男が『私』という存在を固定してしまったのです。
『この屋敷にいるもの』
そのくらいしか私を示す言葉がありませんでした。
すると男は「ああ」と納得したように頷きました。
「付喪神のようなものか」
聞いたことのない言葉です。私を称するそれはどんな意味なのだろうかと思いました。私が何なのか、この男は知っているようなのです。
「俺の国では『八百万の神』と云い沢山の神がおる。それ以外にもすべての物に神が宿ると信じられている。それが針一本でもだ。ならばお前はこの屋敷に憑く神と云ったところだろう。そうだな・・・この国で云えば『精霊』と云うところか」
私はこの時この男の言葉によって『精霊』となったのです。 

『精霊』は人間にとって恐怖の対象になり得ることを私は培った知識の中で知っていました。
しかし、男は違いました。
男の国には「八百万」もの神々が存在するというのです。それは天地のように尊いものではなくとも、身の回りの物すべてに神がおわすのだそうです。
だから『精霊』などただの当たり前の存在なのだと男は思っているようでした。
私を見ることが出来る男は、それからもたまに私に話しかけて来ました。
男が私を存在として扱う毎に、私は私になっていきました。

*

私にしては短い年月。人間にしてはかなりの年月が経ちました。
その間も男は外敵から屋敷や主人を守り通しました。
黒々とした毛髪が真っ白になり、張りがよい肌が多くの皺を刻んだ頃には、主人の信頼を得た男は黒い燕尾服を着て、胸にたったひとつのバッチをつけるようになりました。
主人に恩があると話していた男の、若い頃のギラギラした刃のようなものはきちんと鞘に収められ、一見穏やかな老人です。
しかし、その強さは健在で、同じく屋敷を守る人間達を束ねておりました。
そして、あの。運命の日がやってきたのでございます。

*

あまりにも突然でした。
そしてあまりにも敵の数が多すぎました。
今までの失敗で学習したのでしょう。襲来してきた敵の数は屋敷の人間の数に匹敵するものでした。
まさに阿鼻叫喚。
屋敷は悲鳴に包まれ、血と死に塗れていきました。
男も戦いました。半分以上の敵を葬りさりましたが、男は年をとってしまっていました。若い頃のように無限に続く体力はありません。少しずつ傷つき、少しずつ追い詰められていきました。
それに男は幼児を片手に抱いていたのです。それはどう見ても足手まといでしかありません。しかし、男は子供を守り戦い続けました。決して離すことなく、しっかりと胸に抱いて。

この屋敷で幾度も繰り返された惨劇に私は一度も関わったことはありません。
人間のように実体を持たぬ『精霊』たる私にはどうしようもありませんし、どうするつもりもありませんでした。
ですが、男の死が近いことを察知した私は男の元に参ったのです。
私を見ることが出来、私を存在として扱い、私を精霊にした男です。
男が死ぬのはとても残念でした。もう二度と話すことも見ることも出来なくなるのです。寂しい、悲しい。そういったものを私は感じました。
なんと男は私に『感情』というものまで与えたのです。
子供を抱えた男は血まみれで床に倒れていました。見ると子供はこの屋敷の主人の孫でした。
男は気配を感じたのか、ゆっくりと顔をあげ私を見ました。
死相が表れています。もう死に逝くことしか出来ない状態でした。
私を見た途端、ぼんやりとしていた焦点が合いました。
すべてが弱弱しく力尽きようとしているのにその眼に昔と変らぬ力を宿し、男は私に手を伸ばしました。
「頼む」
ヒュウヒュウと息が漏れる中、必死になって言葉を紡ぎます。
「この子を助けてくれ」
遠くから敵意に満ちた人間が近づいてくる気配がする中、男は私から目を離しません。
「この子が死ねば・・・家系が絶えてしまう・・・守らなくては」
男の胸の中で子供がピクリと身じろぎました。まだ生きています。
死に逝く男はどうしてもこの子供を守りたいと思い、願って、私に頼んでいるのです。
ゴボリと血塊を吐くと、男の眼から少しずつ生命の光が消えていきます。
それでも男の手は私に向かって伸ばされているのです。
私を認識し私を精霊にして私に感情を与えた男の最後の願いを跳ね除けることが私に出来るでしょうか。
男の手が床に落ちる寸前、私はその皺が刻まれた手を取りました。
安心したような表情を浮かべた男を見た次の瞬間。



私は『タナカ』になったのでございます。
 



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A certain spirits of the dead's story

 








■なかがき

セバシエ全然関係ないタナカさんのお話。
書き出す前の精霊イメージは「坂田靖子」さんの「闇月王」だったんですけど、
書いたらなんか全然違っちゃいました(笑)

後半へ続きます。





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